行秋(いくあき)

季節

 今日の一句  行く秋ぞモーツァルトのレクイエム  浮浪雀

 土曜日はbe。相談者60代男性。一生を教師業に掛けた男、部活指導に日夜を厭わず使命感にあふれていた。しかしその自分の人生は何だったのか。妻が家族のご飯を作るだけで一生を過ごしてしまった、とつぶやいたのを聞いた。自分が仕事に打ち込めたのはこの妻の支えがあってこそのことだった。妻にも自分のやりたいことがあったのではないか、と思い至る。この気持ちをどうしたらいいのか。回答者は上野千鶴子大先生。上野先生は情け容赦のなく、このうつけ者!、今更気がついたのか。とバッサリ切り捨てる。この後に介護の問題が控えている。捨てられないように、感謝をきちんと態度と言葉で表しなさい。まだ遅くない。と激励していた。なんだ優しいやつじゃん。

 我が身を振り返れば、上野先生に会わす顔もない。現に妻に、うちは母子家庭だから、といわれてきたのだ。しかし私がこの相談者と違うのは、こと仕事に関しては私に使命感や自負心はない。自分のせこい私憤を公憤にすり替えて正義面しようとは思ってこなかった。なので、私に自分の正当性を誇る気はさらさらなく、自分は勝手にやってきただけので妻にも勝手にやってもらって何の文句もない。今日だって妻は別邸で恒例の月例麻雀大会をやっているのだ。それをいいことに私はパソコン三昧である。

 そこへ、私の中学時代の恩師が亡くなったという電話が入った。春暁 - ぱーこシティ(終の棲家)に記録した恩師である。このとき以来、ついには話を交わすことなく恩師は旅立たれたのだった。もう回復しないガンに冒され家で奥様に看取られての最後だったという。モルヒネを使いまくっての闘病だというから、それは壮絶なものだったろう。10月12日になくなられて、家族だけで葬式を済ませて、納骨は今月末になるという。私の黒歴史時代以来晩年まで付き合いは途切れていたが、晩年は復活して熱海の別荘で例年の例会を開いていたが、そこはコロナ騒ぎで中断しそのままになった。私に教えてくれたのは、中学時代の部活のマスコット嬢だったT子さんである。私が中3だった時に彼女は中1なので、すでに70は超えている。私に報告をしながら時折涙ぐんでいた。

 コロナで人生がずいぶん変わった、とつぶやいていた。私はそう思うことがほとんどないので、相手は世間の一員なのだと思って黙っていた。残った仲間でご飯でも食べましょう、と世間の挨拶を残して電話は終わった。

 この連休で片をつけようと思っていた業務関係の作業が3つあった。一つは 10月30日締め切りの巡業公演関係のことである。来年度の仕様書をつくるという作業で、作業チームに自分から申し出たが手をつけられなかった。文科省から学校指導要項をダウンロードして読んでみたが、ツラツラ机上プランが流れているだけで、とてもお付き合いする気になれない。これは不義理をしてあきらめるしかない。その旨お詫びをすることになる。二つ目、pやはり巡業公演関係で2週間前ぐらいに当日の要項をおくります、と使えたが、その2週間前が11月の1日である。これは半分ほど作って、あとは明日残りを片付けるしかない。最後が予習関係で、情報の作業プリントと生物の授業準備。これも明日だな。

 予定を立てたら仕事が終わったようにおもう受験生のごとくに私の仕事も片付いた。設定関係は、パソコンの引き継ぎをしないので、新しいものに必要なことを継ぎ足していくだけだ。と思ったがこれがけっこう先の見えないものになっている。iMovie、final cut pro、compressor、はまた買わなくてはならないかと思ったら、icloudのアカウントでダウンロードできた。こういうところはappleは太っ腹である。その点マイクロソフトは新らしい資本主義で、word,excelともアプリを移すことができたが開いてみると、家賃払うか、アカウントをいれないと使わせない、とせこいことをいってきた。たまにしか使わないので家賃を払う気はない。そもそもこのソフトは7年前に永久版を買い切りで購入したのだ。それも万を超える金額を払ったのだ。永久版じゃなかったのか。それで移したアプリを削除し、フリーのテキストエディタを落として、当座の用を済ませた。必要なら以前のパソコンで作業するだけである。3つも通勤しているそれぞれの職場のアカウントがあるのでそれを使えばなんとかなるだろう。その設定がまた面倒であるが。

 この設定三昧は当分楽しめそうだ。