ぱーこシティ(令和版)

18年続いて来たぱーこシティは、ついに元の場所に還ることをやめました。

46年ぶり

 今日の一句 地下鉄の出口あふれる軍隊蟻 浮浪雀

 今日の三択は、オフェーリアに影響を受けた作家は? 芥川龍之介・夏目漱石・ぼけ 草枕だって。その後、巡業公演のパワポを作って、今日は46年ぶりの小笠原関係の会合。もっとも3年ほど前に隠居を偲ぶ会で顔合わせた人もいる。新宿のめしやで2時間40分ほど。ランチ会である。恒例の座席表を入れておこう。

shikako  mikiyo  akihiko

fumiko   isao   ishima   sachiko

で都合7名。幹事はみき代さんで、いずれも元教員は70をこえている。その生徒だった人は60台と言うことにある。近況報告をして歓談、150分間瞬く間に過ぎた。近況と行ってもご老体ばかりであるので、時間をどう潰しているかという報告と家族関係の話となる。

人間は体力だとばかりに、運動関係をしている人が多かった。バレーボールを始めたshikako,週6ジムに通っているmikiyo,一人暮らしなので銭湯代わりだそうである。一人暮らしの老人にとって毎日の入浴は経費的にも体力的にも大変で運動とフロが行えるジムは便利、ただしコースの予約が大変でその時間になると3秒で人気コースは埋まってしまう、とのこと。一番の変貌ぶりだったakihiko氏は二度死に損なった、とのことで脳の血管障害で一時は言葉もしゃべれず大変だったという。都の名門校の名物教師をしていたがその病気でそのキャリアは中断、今は執筆いそしんでいる。宮沢賢治のように死後ブームが起きるであろう、とのこと。往年の淀川長治氏の様な風貌になっていたが、語り出すと50年近く前の口調そのままでこういうところにその人の人格が失われずのこっているんだと思われた。小学校を病気で通っていなかったsachikoさんは認知症の親の介護でうつ状態になり、引きこもって数年やっとこういう場に出られるようになったという。そんな苦労をしていたとはまったくしらなんだ。週2回バトミントンをして半年で60冊の読書をしていると豪語するisao氏。二人の娘さんも近所に引っ越してしてきて、一番幸せな老後を送ってるように思われた。一族写真をiphoneで見せてもらった。名前が出てこなくなって教師を辞めたというfumiko氏、人間は話をしていないとだめだとこういう会にも出てきている、という。ここへ来る前にはshikako,sachikoと竹芝桟橋に行ってきた。とのこと。膝の治療で病院へ行ってきたが骨密度の測定値がいい加減だ、と小言を言っていた。言葉が出てこない、の様子は今回はうかがえなかった。またやろうと言うことになって夏日の明るい日差しの中新宿南口で散会した。

 帰宅後だらだら寝て、昨日締め切りのレポート採点に取りかかる。なかなか終わらない。