ぱーこシティ(令和よれよれ日記)

毎回入力ミスを訂正するのが面倒になってきたので、ミスはそのまま二しておきます。<BR>自分が読んでわかればいい。<BR>日付や時間の事実関係が書くοできれば上出来。

梅雨

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今日の一句   猫心梅雨の姨捨犬心  浮浪雀

 今日は早出で、いつものルーティンがない。6時40分に出て7時40分に駅に着く。早く職場に着くと戸が空いていないので、歩いていく。15分程度の距離である。

 プリントが出たのでそれを解いて準備をする。3コマやったが、どうも予備校の授業の感じで面白くない。真面目でおとなしくそれほどできない生徒の予備校、といった感じだ。ここの生徒はそんなことはないので、多分私がいけないのだ。いくつか答えを書くのを忘れた。

 午後はこの前の得点入力の訂正をする。4人起こっていたのが、あと一人になる。疲れてきたので、やめる。隣で授業をしているが、笑い後が沸き起こって楽しそうである。同じ教材のはずだが、どこが違うのか。この教材で笑いが取れるのか。その立場は本来私がいるところのはずなんだが。どうもよろしくない。

 15時15分になったので帰ることにする。

途中阿佐ヶ谷の事務所のよって、都への報告に必要な印鑑を押す。20分ほど滞在。

 帰宅後少し寝て、答えを書き忘れることがないようにプレゼン資料を作る。そういえば明日の準備もあった。あたしの教材を作る。文字を打ち込んでみるが、見直すと必ずミスがある。それを直していくうちに時間となる。

 明け方20年前に記録を読んでいたら、娘が腹痛で入院する箇所が出てきた。そんなことはとっくに忘れていたが、痛むのはかわいそうだ。昔のことなのに、今のことのように落ち着かない。

 

Date:2004年6月12日(土)

 

例によって倒れ込み
夜中の2時に起きる。
ネット業務をやって
2度寝の前にちょっと一服
くだらないTVを見ていたら、
娘がうろうろ起きてきた。

おなかがずっと痛くて寝られない。
と体を前に折り曲げて
うろついている。

昨日は気分が悪くて早退した。
医者に行き薬をもらった。
電車の中で倒れ込み新宿駅で休んでいた。
妻が迎えに行った。

さっそくネットで検索する。
症状、経過から盲腸だと思う。
虫垂炎というヤツである。
素人判断だから自信はない。
だが間違いない。
発症から20時間は経過している。
クリテカルポイントは過ぎた。
そろそろあぶない時期である。

救急車を呼ぶ。
パジャマを着替えて
ついていくことにする。
行ってもすることもないんだが、
それは家にいても同じである。
これは私のために良かった。
余分な心配をしなくて済む。

救急隊員は3人。
一人は運転手をかねる。
助手席にいる人が搬送先の病院を手配する。
もう一人が後ろにいて
応急措置担当である。

娘の意識ははっきりしていて
救急隊員の質問にてきぱき答えている。
もらったクスリを飲んでも
いっこうに治りません!
アイテテテ
こういうときになると
俄然はりきるヤツなのだ。

2度目だわね
妻が隣で目配せする。
そういえばこうして親子3人で
救急車に乗るのは
小学校4年生の交通事故の時以来である。

さっそく車内で21世紀の記録に取りかかろうと
躊躇していると
やめなさいよう、と妻にこづかれた。

近所の救急指定病院は
K大附属、N石、N病院と3つほどある。
この中ではN石がいい感じだ。
亡くなった義父の白内障の手術をしてもらった。
そのときの印象がいい。
いきつけのところはありますか。
特にありません。
N石はどうですか、と頼んでみた。
助手席の隊員が無線電話で問い合わせている。
結局N病院になった。
ここは一番近い。
私の粉瘤を取ってもらったところだ。

病院到着が4時52分。
もちろん誰もいない。
奥から警備員が出てきて
対応した。
電話で当直の医者を呼ぶ。
お休みのところ済みませんが・・
と丁重な依頼である。

車内のベッドはそのまま移動担架になる。
救急処置室は入り口のすぐわきにあった。
そこへ娘を運び込む。
若い小柄な看護師がすたすたやってきた。
処置室についていくと
お父さんですか、
とやんわり外で待っているように指示される。
そこへ医者が寝乱れた髪の毛に手をいれながらやってきた。
仕事かよまいったなー、という感じである。
眼が半分寝ていた。
年齢は40代であろう。

処置室の入り口の自動ドアが開いたままになっている。
私がそこに立って中をうかがっていると
看護師がきて締めようとした。
ストッパーが上部レールの端にある。
そこに聴診器(!)を入れて押している。
ストッパーはなかなか外れなかった。
私は少しを身をひいてそこに立っていた。

妻は少し離れた待合所に長いすに座っている。
咳き込んでいる。
どうも喘息の発作が出かかっているらしい。
するとそこへばあさまが2人奥の階段から下りてきた。
こんな時間に何事だ、と妻と私を見た。
そっちこそ何事だ、と無言で様子をうかがっていると
警備員にドアはあくか、と聞いた。
たばこが吸いたいらしい。
ばあさまのうちの一人が
どうしたんですか、と独り言のような質問のような微妙な言い方で
妻の方に声を出した。
妻は開いてますよ、とドアの方を指さした。
それでばあさまは2人のろのろそとへ出ていった。

40分ほど処置診察をして
中へ呼ばれる。
医者は大変わかりやすく説明した。
抗生物質というのはバイキンをやっつけるクスリですが
それを点滴で入れます。
そんな感じである。
診断は的確な印象を受けた。
眠くてもやることはやるという感じだ。

虫垂炎で微妙な時期なので、とりあえず抗生物質で抑えて様子を見る。
自分は内科なので外科の医師が来たら診断してもらい手術するかどうか決める。
いずれにせよ5,6日入院となる。

部屋は8人部屋4人部屋個室もありますが、
どうされますか。個室は費用が少しかかります。
8人でいい!
ベッドでうずくまっていた娘のツッコミが入る。
うちは貧乏だからと言い聞かせてあるので私に異存はない。

結局1時間半ほどかかった。
娘は腕に点滴をつけて8人部屋の入り口近くに寝ることになった。
痛みは治まらないが、診断が決まったので気持ちは落ち着いたようだ。
我々はいったん帰って入院の準備をすることになる。
歩いて家まで帰る。

それから朝食を取って
学コンをやった。
妻は入院手続きに病院へ行った。

午後は演劇部の様子を見て駒込高校へ行った。
またもどって部活6時までやる。
例によってだらだらしているだけで
練習もあまりすすんでいるとは思えない。

帰りは一端家にもどって
病院に行くかどうするか
妻からの連絡を待ったが、
妻の携帯は家にあった。
家電に公衆電話から連絡があり
妻はもどって来るとのことだった。
痛みはまだおさまらないが、
点滴は効いているようだった。
手術するかどうかの判断は
月曜日になるとのことだった。
痛みで一睡もしていない娘も
午後は少し寝られたようだ。
そういえば私も1度寝だった。

また同じパターンで今朝は5時に目が覚めた。

今日の一句
アイテムはスクール水着香港製    イシマ
 
20年前は随分と書き込んでいた、ものだ。

 結局、一週間ほど入院した。点滴の薬で散らして手術はしなかった。家の中を調べてみると、神社のお札の位置が悪かった。それでこういうことになったのだ、という気分を持ち上げて、お札の位置を変えた。それでどうなったかは、先を読んでいないのでわからないが、翌年には私はこの職場を退職することになるのだった。

 それで話は20年後の今日に戻る。そういえばやはりお札の位置がおかしい。それでお札をの位置を変えた。その時椅子から落ちそうになりカーテンの棒に捕まったら、かけてあった植木鉢が落ちた。私の代わりに落ちたのだ。危ない危ない、身代わりのおかげで助かった。