今日の一句 まぐろより鰤が数ある夕食かな 浮浪雀
今日の三択 寒気と寒波の違いは? 温度・期間・場所
バレンタインデーのプレゼントは? エステ・鍋・スノボ
SDGsで始まったものは? 揚げパン・ソフト麺・ぼけ
成績処理。今年度から高校に3観点の評価が導入された。やってみると制度改悪だと思える。評価はする側とされる側の両方にとって有効なものがのぞましい。そもそも論を言うと、すべての教科・科目を、知識・技能、思考・判断・表現、主体的の学習の取り組む態度の3つで評価しようと言う発想に無理がある。現状では知識・技能=基礎的項目、思考・判断・表現=応用的項目、主体的関わり=姿勢・態度、と読み替えて行われている(かのようだ)。問題集をみるとそう判断せざるを得ない。それが現場の感覚である。さらに、この3観点をどうつけるかの問題がある。初めの2つはペーパーテストでなんとかなりそうだ。主体的関わりは観察によるのか。つまり教師の主観か。さらにその観点はすべての学習場面で行われなければならない。テストだけじゃなくて授業中の生徒の行為がすべてこの観点から評価されるのだ。さらにその結果を3段階(A,B,C)にわけて、各項目の学年まとめの評価をもって5段階に落とし込むのだ。とても正気の沙汰とは思えない。
今日は高校の情報について成績処理したが、2学期制なので、前期の評価が3個目についてなされる。それはレポート・授業中・期末考査の3分野について行われる。つまり前期で9項目のA,B,Cの評価が付けられる。後期も同様。なおレポートは2通あるので、評価は2倍になる。さらに授業の評価は各時間ごとに行われるので出席時間15時間分ある。評価を入れるマス目が、前期で、15+2+1=18ありそれぞれにA,B,Cの3段階あるので54通りの評価が下される。後期も同じ。それを平均して学年の評定を出すので、108通りの平均をとり、3観点3評価で9つの評価が下される。このA,B,Cの組み合わせを5段階に落とし込む。えっつ、って感じである。
散々苦労してつけた結果を次のように処理するのだ。AAA=5,AAB=ABA=BAA=5、ABB=BAB=BBA=4、・・・・、CCC=1といった具合である。さらにAACはあり得ないので、なにか工夫してこうした評価が起こらないように、という通達まで出ている。
昭和の頭からすると、試験をしてその平均から5、4、3、2、1をつけた方がよほどすっきりするし、わかりやすい。努力のしがいもある。大学入試も入社試験もペーパーテストは点数できまるんじゃないの。
この新しい評価方法は、まず学習を3観点で評価できる、という根拠が曖昧。次にそれを最終的に5段階の評定に落とし込むところで、3観点の評価が妥当に反映されない。最後にこの評価が付ける側と付けられる側にとってどんな有効性があるのか、判明しない。付ける側からすると労多くしてほとんど益がない。この多量の処理はエクセル(表計算)とパソコンの力を借りないとできない。確かな実感のある作業なら致し方ないが、あいまいあやふやな効果しか望めない詳細なデータを時間をかけてミスのないように作業する意義がわからない。シジフォスの神話だね。昭和の人間の頭はいつだって実存主義だ。
もちろんネットを調べるとさまざまな議論がある。学習指導要録の改訂には文科省はもちろんそれを専門に研究している学者さんが関わっているのだろう。みな名のある大学を出て頭脳明晰な方々なのであろう。現場の先生の意見もたくさん集約して時間と金をかけて結論を出したのであろう。それが実際作業している私に少しの納得を起こさないのはどういう事態だ。これは異世界ゲームか?気がついたら令和の成績処理をしてました。なんか魔法がでてくるのか?
そんなことを出勤前にして1日分のエネルギーを使ったが、今日はさらにその後があるのだ。キッズ業務は新年度広報業務。もう記録を書くのが面倒になってきたので省略するが、130枚ほどの印刷を多種目にわけてそれぞれ配布した。なんとかそれは終えたが、日常業務の諸連絡が押してきて、金曜日の課題作成ができなくて持ち帰ることになった。怖い話は仮面の悪霊だが、あまり面白くなかった。
帰宅後ねんねん豆腐丼をたらふく食べて轟沈。11時前に起きる。