ぱーこシティ(令和版)

18年続いて来たぱーこシティは、ついに元の場所に還ることをやめました。

外套

4,012↓

今日の一句   外套のよく似合う宮沢賢治  浮浪雀

今朝の夢。自分は専門学校の学生。芸能のスタッフ系の学校である。音響設備の授業でPA装置の説明を受ける。さまざまなコースがありY校の演劇部の生徒も受講している。他の教室に行くとMがいた。彼は映像系のコースを取っているらしい。でかいカメラを肩に乗せて張り切っていた。私はまた音響系の教室に戻ると、ちょび髭の講師が皆を注意している。操作の仕方が悪いと言うのだ。みな新人なので無理もない。それを覚えるために来ているのだから。講師は一人一人名指しで文句を言っていく。だんだん自分の番が近づいてくる。気がつくと学生たちは皆若い人で自分だけが70を越した老人だった。一緒にやっていたつもりだったので愕然とする。講師は私の前の学生を名指しした後、私を飛ばして次に学生を呼んだ。そうか、さうだよな、自分は場違いなところにいるんだ。このunfamiliarなところで一体自分は何をしているんだ。これまでの人生ずっとそうだった感じがしている。まわりになじんだことはなかったんだ・・・

 そこで目が覚めた。思い起こすと今も週に3回も違う現場に行ってそこそこ仕事をしているつもりだが、どこも自分が安心して馴染んでいる場所じゃない。そんな気分に襲われる。毎朝、今日行く場所に合う服装をして必要なものをもったか確認して家を出る。何の準備もなく心構えもせずに手ぶらでその場所に行って手慣れた作業をすれば時間が過ぎて勤務が終わる、そういう身分でいた試しがない。子供時代のほんの一時期を除けば気持ちはずっと異邦人のような暮らしぶりだ。

 私は今日行く職場の外国人講師を思い出した。まだ若い男でジャマイカ人だと言う。英語のネイティブ講師だと思うが、席についているときはいつも退屈そうに机の上のiphoneを見ている。カタコトの日本語を話せるのは4月に私が机の引き出しを無理に外そうとして大きな音を立てたときに、ソコといって止金の位置を教えてくれたことからわかった。私は小声でサンクスと言い、人見知りな私にそれ以上の会話は進まなかった。彼と言葉を交わしたのはその時だけである。英語の教師が来て英語で打ち合わせをするときはさすがに流暢に話しているが、要件が終わるとすぐに黙り込む。この男も周りがunfamiliarだと思ってるのかもしれない。

 今日の三択。卵の賞味期間、冬は何日ぐらいか? 16日、25日、57日。二月近く大丈夫と言う。ことば検定。福沢諭吉が情勢の地位向上のためにしたことは?職場をつくった。留学を勧めた。ぼけ。エンタメ検定。バレンタインの苦い思い出。父親にチョコをもらった。自分で買った。もらえなかった。これは思い出せなかった。

 実験室が使われていて、準備に奔走する。メールで依頼していたが返事がなかった。見ていなかったのだと思われる。なんとか2コマこなして、レポート採点して撤収。14時47分。小笠原のミニトマトを近しい人に持って行く。4つを紀伊國屋のビニールパックに入れて。事務は4席机があるから4人かと思ったら、一つは用務さんのところで用務さんは2人いる。そこで3つだけ渡してきた。あとは副校長補助のおばさんと副校長。理科関係の3人。結局一袋余ったのでそれは持ち帰った。

 帰宅後疲れて寝た。食事をしてこれを記入。