ぱーこシティ(令和版)

18年続いて来たぱーこシティは、ついに元の場所に還ることをやめました。

とんど(どんど)

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今日の一句   近頃はとんと見かけぬとんど焼き  浮浪雀

 今日の三択。(タレントの)始球式で起こったことは? ワンバウンド。

 8時半にから受け付ける、というので法務局のe申請をやってみる。macじゃ受け付けないので、windowsのnotebookを引っ張り出して、edgeでダウンロードしてやってみると、申請用のソフトは解凍できた。しかしこのソフトの使い方のPDFを見ないといけない。これに3種類あってそのうちの一つをダウンロード、とりあえず読むが私のやりたいことがなかなか出てこない。昨日の機械応答のメールでは、申請は受け取ったのであとは費用を払い込めばいい。そのページが出てきたところで、IDとパウワードを入れる画面になる。

 ここのmacで入れたIDをパスワードを入れると、弾かれる。今回は私が書いたパスワードをなかなか読んでくれないので、機械が提案するパスワードを入れてみた。条件は半角英数字大文字小文字を混ぜて記号を入れる、というものである。機械は意味のない20文字のものを提案してきた。このサイトをIDを機械が覚えていて、次に入れる時は自動的に入る、という仕組みである。ところがそれを記憶した機械ではだめなので別のノートブックを引っ張りだしたのだ。そこでmacに入っているパスワードの表をこのmacのパスワードを入れて引っ張り出し、そのcsvファイルでデスクトップに貼り付けて開いてみる。

 それが全部で448項目ある。つまり私はいままでこの機械で448セットのIDとパスワードを入れていた、ということだ。たしかにずらずらとならぶこの組み合わせのいくつかは覚えている。しかし最新のは出てこない。作成順にソート出来ないのだ。しかたなく上からずっと送ってみていく。パスワードがわからない上にIDも朧げな記憶である。このcsvは、サイトのURL、括弧つきでID、登録用のメールアドレス、パスワードの4項目が1行に入っている。これが488行ある。300ぐらいまでいったところでそれらしいものを見つけた。URLがそれっぽい。メールアドレスは確かにあっている。それをメモして、ノートブックの画面に入れる。

 それがやはりはじかれる。IDを変えたり、大文字小文字を注意したりいくつか試してみて、進まないので、再設定というのをやる。すると記入したメールアドレスに送られてきたメールの中のパスワードを画面にいれると受理されてパスワード再設定の画面にすすめるという寸法である。ところで機械が違うので、ノートブックのメーラーにはそのパスワードが送られてこない。そこでパスワード変更用のパスワードをメモしてノートブックの画面にいれる準備をして、imacのメーラーをみるが返事がない。ここで時間切れである。せっかく機械にしたのに、この作業は法務局がやっている時間帯、つまり830から1700までしか使えない。もう出勤の時間である。ノートブックに電源を入れたまま、つまりパスワード変更の画面をだしたまま、出勤することになる。

 出勤のバスの中でiphoneをみたら、こちらメールに法務局からの返事が来ていた。次の文字を9:15までに打ち込んで処理を終えてください。もう9時33分だ。すると、imacを見ながらiphoneにきた情報をwindoowsのノートブックで打ち込んですすめるか。これを今日帰ってきてからやるのか?やるしかないだろ。

 今日は4限が終わったらただちに退勤して歩きーバスー歩きー電車ー乗り換えー電車ー乗り換えータクシーで次の業務場所に移動しなければならない。この途中でinゼリーで栄養を補給する予定である。前回はバスに乗る前にコンビニで購入できた。しかし今日は片付けに手間取り、バス停に着いた時には乗るバスが来るまで1分しか余裕がない。そこで目の前のセブンイレブンに入るのは諦めて来たバスに乗り込んだ。時間の記録は以下の通り。

 バス停1248ー仙川着1252-(ここでinゼリー購入)同発1301-千歳烏山乗り換え1303ー新宿着1323ー赤羽着1337ータクシー現地着1350。これだけ思いだせればまだ大丈夫。

 とまあ、あれこれあって次の業務校には5分ほど遅れて着いた。タクシーは900円取られた。この前は同じ距離で820円だったのに!。皆、先に着いていた。打ち合わせののち、業務に入る。1コマ分は難なくすぎて終了後、バスで赤羽から帰宅。

 さて今日は、最近高校生で自殺が増えているようだから、自殺防止に立つようなお話をしてほしい、と言われる。集まった講師の皆様はこの道のプロである。A氏「自殺するような苦しい時こそ成長のチャンスである」B氏「統計によれば夜中の2時が決行時間という。よく眠れるようにしないといけない」C氏「年代から言っても精神的に不安定な時期だ。その不安定をささえる人間関係をつくっておくのが必要」A氏「SNSの相談をやっているが、その内容の相談はよくある。死ぬと言っているが死ぬほど辛いということなんだ」

 私は何を言っていいかよくわからない。年に二度ほど来た講師のじいさんが自殺防止に有効な話などできるわけがない。そんな力が私にあるわけがない。それは立場と私の実力において。だから無理難題を言われていると思う。藪から棒に、自殺をしてはいけない、とどの口でいえるのか。B氏は「どう切り出していいかわからない。私はプログラムに入ると忘れそうだから、初めに命の大切さを訴えてみる」私は「この学校の先生に頼まれた、とバラすしかない」と言ってみる。

 死に関しては、その扱い方に3つのレベルがある。一つは客観的なレベル。つまりは新聞記事、TVの報道のレベルである。3人称のレベルと言っていい。つまりは他人事である。次に身近な日常生活のレベルがある。対面で話し合えるレベルだ。これを2人称のレベルと言うと、授業や対面の相談などはこのレベルである。そして自分一人で考えるレベルがある。一人称のレベルだ。自分の死はどうとらえるのか。死んでしまえば自殺しようと悩む自分がいなくなるのだから問題はおきようがない、とも言える。これは養老孟司が言っていたことだ。

 自殺防止の話とは、一人称で起こる事柄を、三人称や二人称の世界から問いかけるという構造をとる。このことを十分意識していないと有効な話はできない。だから、自分が自殺できなかったのは、母親が悲しむだろうな、と思ったからである。という言い方になる。一人称の事柄を二人称の世界で伝えるのである。これが有効かどうかわからない。自殺を考える人はこの二人称の世界がほとんど働いていないことが多い様に思われる。まずは二人称の世界をつくるところから始めないといけない。人間関係ということである。ところでそれが危機になるのが思春期や老年期である。老年期は先がないのでとりあえずおくとして、思春期の危機にどう対応するかというのが一般的な問題の立て方になる。この捉え方が3人称=客観的な捉え方なので、ここを破っていかないと有効な話はできない。そもそも自殺を問題にしているのは、親や教師であって、自殺しようとする人間にとって自殺は問題ではなく結果である。だから自殺されることを恐れている親や教師に向けての話、ということが主眼なのか?

 なんてことをつらつら考えながら、結局は良い人間関係を作ることは大事、ということを二人称の話し方で付け加えただけだった。

 帰宅したのが4時過ぎで一休みしたらもう時間がなくなって、法務局への手続きはできなかった。明日の午後やるしかないか。フロメシ轟沈。11時頃起きる。