今日の一句 初恋に初雪ちらつく韓流ドラマ 浮浪雀
今日は特別時間割で早く行く。答案返却3コマだが、それがバラバラに配置されている。朝イチと昼前と午後の3箇所。採点ミスは一つのクラス4人だけだった。やはり2検が聞いていたように思う。学校にずっといるので、久々に500円の仕出し弁当。訂正入力も済んで、いよいよ成績入力だが、例の三観点、主体性の評価の調整がまだ。昭和の頃は、テストの点で生mて、この主体性の項目は授業に向かう姿勢として、テスト評価の補正に使っていた。つまり真面目やっているので、テストの点が思わしくないときに下駄を履かせるのだ。「下駄を履かせる」なんて死語が通用するのか。
この評価の素材は実験の評価と授業ノートの記入量である。そもそも論でいえば主体性なんて測りようがない。仕方なく努力の量で図ることにする。主体性の評価で一番の留意点は、主体性を発揮した生徒の納得感である。そもそも主体性はその人間にしかわかり得ない。結果が出なくても頑張りました、という主張をどう確認してその本人のみならず回りにどう納得させるのか。究極、自己評価をそのままつけたほうが趣旨は生きると思われる。現に参考書会社の主体性評価には生徒の自己評価を記入する様になっているものが多い。これはそのままAO入試の評価に通じる考え方で、つまりはその自己評価を試験官の主観で評定するのだ。
それを一連の流れ作業として確定しないとこの項目はつけられない。私には原理的に不可能と思われる。2年前にいた中学校で、専任の先生はこの自己評価の各項目を実験では、9段階に分けてつけていた。40名の生徒ひとりひとりの実験記録を9段階に判定するのだ。そして小テストの結果も点数に換算して記録する。これは教科書併用の業者テストの点をそのまま使っていた。そしてその総合点をA,B,Cに落とし込む。大変な量の処理をして、結果がA,B、Cの三段階なのだった。まともな神経ではモチベーションを持続させるは難しい、と思う。AIに決めてほしいところだ。
評価の材料は確定してるが、妥当な処理方法が確定せず、結局仕事は持ち帰ることになった。月曜日が成績提出の最終日である。
そうそう質問生徒が一人来た。胸腺の実験に関する問題で、私には内容が教科書の範囲を超えた仮定の話に思えた。つまりこの問題はこう考えることにする、という思考方法が決まっていて(受験問題にはそういうものが結構ある。生徒はその仮定をしらないので、わからないのだ)、それを説明すれば納得する。納得する説明ができるためには自分が納得していないといけない。私もその問題は十分な納得していなかった。そこで出されている仮定を確認して考えてもらったら、そういうことなのか、と一人で納得していた。私はこういう生徒を担当するのは教員生活の最後になって初めてである。進学校の先生の仕事は結構お気楽なものが多いな、と密かに思った。45年前に島の学校から定時制に異動するときに、当時の教頭が定時制ではなく、ある程度の進学校に行ったほうが授業で報われます、と助言してくれた。私にはそういう選択肢があったわけだ。
帰宅後轟沈、11時半に起きる。