ぱーこシティ(令和版)

18年続いて来たぱーこシティは、ついに元の場所に還ることをやめました。

スタッフルーム整頓

今日の一句
盛り場のカラオケ回って蛍狩 浮浪雀

6時半ころ起きる。
人生論ノートが終わった。
妻に死なれた三木清は、私が死んだ妻をこんなに思い出しているなら、
私が死んだ時、娘は私を覚えてくれているだろう、との真理に到達する、
と伊集院光がひらめく。ここが良かった。
愛しているものこそが永生を得る。

巡業公演のメールのお返事。

キッズ業務
スタッフルームを改造。
初めは壁にかけるコルクボードが欲しかった。
しかし当施設は貧乏である。その上清貧を旨とする修道院がその前身である。
そこで、これも廃品を譲り受けた大きなお膳を壁掛けのコルクボードの代用にできないか、考えた。お膳は表面に穴があいてもう使えない。
お膳の足を外し(錆た木ネジを無理やり引き剥がし)壁に横にかけようとしたが、支えるものがない。そこで床に縦において前を机で挟んでしまえば、倒れる心配がない。そうすると机の上に物があるとボードの役目が果たせない。そこで机の上を片付ける。

不用なものの行き先にあまり使っていない引き出しを使う。そこに入っていたものを押入れに移動させる。と次々とものの移動を行っていった結果、かなりの改造になっていきプリンタの位置を変えたり、机を窓際の壁にずらしたり、の大改造になった。

算数ゼミ
遊んでいる子がいる。遊ぶのはいいんだけど問題をやっている子にちょっかいを出して仲間に入れようとする。それでもいいんだけど、もう一人の子が言う。「ねえ、ゾンビKくんは遊んでいてお母さんが払ったお金を無駄にしてるんだよ。いけないんだよ」まあここまでくればKくんに文句をいう。「お母さんに電話してやめてもうらうが、どうだ。来週から来なくていい」するとKくんはちょっと驚いて固まってしまった。話は聞いているようだ。「君が遊んでいるのは構わないが、問題を解いている子にちょっかいを出すのはこまる。来週からちょっかいをださないか」すると意外にもはっきりした声で「ださない」という。「じゃ、来週も来ていいよ」

彼のような子はけっこういる。親に言われて来るのはいい。親に言われてたことを自分の選んだという自覚がないと勉強のモチベーションが生じない。すると自分から嫌な勉強をしようという気にならない。難しくなるとすぐに投げ出して追求しない。結局勉強の面白さがわからない。
Nはビルの建方問題を解いていた。問題文を読んだだけではその意味がわからない。そう思って麻雀パイを持っていった。これをブロックにして問題文を作ってみる。しばらく試行錯誤していたが、やがて問題の内容と当てはめるルールを思いついた。そうすればもうブロックは必要ない。そのレベルの問題はできた。次のレベルの問題になるとまた考えている。そこへKの誘いが合ったので付き合いに乗って問題を解くのを諦めた。まあこの程度である。

邪魔するものがいても、部屋の中でTVがついていても、問題に取り組み続ける集中力こそが受験を突破する力なのだ。これがついているかついていないかでその後が大きく変わる。この力に目覚めるのが小学校3年生から5年生、少年期の完成期である。その後思春期に入る。Nくんにはその萌芽が見られる。

小学校で塾に行く子には2つのタイプがあるように思う。K君、N君、ともに塾へ行くだろうが、Nくんは化ける可能性がある。K君はホワイトボードにちんことうんこの絵をかいて遊んでいる。おさなさと思春期が入り混じっている。1,2年生の時に、思う存分遊んでいないとこういう状態になる。まあいまからでも遅くない。ともかくどこかでなにもかも忘れて集中する経験をもってほしいものだ。

私立中学校の入試問題をみると、この手の問題を解かずにはいられない、という子、
解けるけどほどほどのお付き合いでいいやという子、そしてわからないけどともかく答えらしきものを書いてお茶を濁す子、と3つのパターンがすでに生じている。
本人の性向と親の養育姿勢の反映と思われる。小学校にしてすでに試験への取り組みが決まっているのだ。

とまあキッズらしい考察をして、ゾンビ送りとなる。今日の怖い話。
エイリアンの物語は延々と続いていて、研究所ではエイリアンに体の中に卵を産み付けられた飛行士がついにその腹を喰いちぎられて絶命する。体内から躍り出たエイリアンは研究所の屋根裏に逃げ込み、必死の捜査にも関わらず、町中へ逃亡した。1週間後に牛がやられた。キャトルミューテーションである。次に猫がやられた。そしてそこから飛び出てきた幼生に人がやられた。そこまで話して駅の改札になる。

帰宅後轟沈。二度起きの今に至る。