ぱーこシティ(令和版)

18年続いて来たぱーこシティは、ついに元の場所に還ることをやめました。

出待ち

今日の一句   あれが上弦の月これが満月マンホール 浮浪雀

 今日の三択。初めてブラウン管に映った文字は何か? X・イ・ぼけ  これは知っていた。初めの文字ですね。

 らんまんを見ていて、牧野富太郎の標本を集めた部屋はプレハブだったことを思い出し、50年前の発生学教室のメンバーをエゴサーチしてみた。神吉泰三郎氏は私の兄と同じ生年だった。版画集を出版している。山手線の駅を題材にした本で、観光客向けに英語、韓国語、中国語の訳がついた版画のコメントがいかにも趣味人である。私が研究室にいたときは博士課程最上級にいたと思う。なんだか高そうな服を着てパイプをふかしているディレッタント。研究室を出て近所の県の医科大学の細胞学教室に入ったようだった。エゴサーチをすると関係者と所属学会がずらずら出てくる。初めの材料はウニだったが、そのうちウィルスを扱うようになり免疫学の学会にも入っている。版画集の奥付けには、教員をやめて、と書いてあるから版画は専門外の余技である。大学教師を教員と自称するあたり自分の立ち位置にかんする意識が窺える。白黒反転したエッチングの絵はその場所に関する題材を再構成したイメージである。写生画ではない。江戸時代からの名所旧跡が多く、山手線の駅名から連想されるものとはちょっと違う。2020の出版。原版は9×12cmというから細かい作業。50年前に知っていた人だ。ついでに研究室の他のメンバーもエゴサ。

 大体医学部の基礎講座のセンセになっている人が多かったが、専門を変えて母子関係とか看護学部の学生指導とか目の前にあるものを食い扶持にして、場所も東京名古屋北海道とどんどん変わって行った人もいた。女性も研究者なので昔の名前で出ていて、この点検索しやすかった。なんだかため息をつく作業だった。

 水曜日の教材を作って、巡業公演関係のメールの返事を2件書いたら、もう日付が変わった。

VIVANTをTVerで見たが途中寝てしまって話が全然わからない。