今日の一句 真夜中の軽雷雨音も 浮浪雀
土曜日のbe。三十代女性。夫が好きだから結婚したのに、夫と一緒の時間がもてない。夫がほしがるから子供も作った。夫は大企業に勤めていて残業も多く、たまの休みも付き合いで一緒にいられない。なんで結婚したかわからない。つらい。という相談。回答者は私の嫌いな作家先生。夫と話しあったら、とのアドバイスだが、私はこの相談者に同情できない。結局は夫に依存しすぎ。夫はこの相談者を愛していない。
今日は一日レポート採点。外は五月の爽やかな風が吹きつのる快晴の良き日。終日3つの画面を見つめながらの作業だった。5人分30分ほどかかることが判明。紙に記録する時間も必要。5人分済んだら。動物園の熊のように室内うろついて、水物飲んでまた作業に戻る。採点対象は58人分あるが、そのうち13人は未提出。なので45人分やった。
終わったら、もう日が暮れていた。久しぶりに100分で名著を見る。ピエール・ブルデューのデイスタンクシオン。階級は経済的要因だけでなく、文化的要因によって生じている。階級が実は個人的な嗜好と思われている趣味を規定しているのだ。という主張である。自分が好きで選んだと思っている個人的な嗜好が実はその人が属している身分によって規定されているとしたら、個人にとって自由とは何か?という問題が生じる。紹介者は社会学者の岸政彦。大学3回生の時にブルデューを読んで激しく共感し、この本に自分の事が書いてある、と思い、ブルデューの方法で沖縄社会の研究をライフワークにしている立命館大学教授。
ブルデューは郵便局員の息子という下層階級の出自ながら、名門のリセを卒業して高等師範学校に入学、国立高校哲学科の教授になる。ところが陸軍に徴兵され、アルジェリアに出征。このとき、フランス国内ではサルトルらがアルジェ解放戦争を支持していた。私は「アルジェの戦い」を新宿文化劇場で見た。プルデューは前線で、サルトルら知識人は高見の見物から論ずる正義感に激しく反発、兵役が解かれてもアルジェリアに残りアルジェリアのフィールドワークを行い、アルジェ大学の助手になってしまう。いや、この辺が私の経歴と重なっていたく興味関心を引くんだわ。
文化的な階層から生じる、社会的構造規定の気質、ハビトゥスという概念を提唱、それにより文化的な階級が人間を規定していると説明する。このハビトゥスとは平たく言うと、暮らしぶり、ということではないのか。フランス哲学なので、ハビトゥスをはじめとして様々な用語が語られるが、いたずらに難解な気がしてならない。その哲学が本質に根ざしているのならその社会で日常的に使われる一般用語で翻訳可能ではないのか。番組では伊集院光が自分の立場に置き換えて、落語やラジオのトーク番組における自分の立場を語っていた。
大分前にこの番組を見ていて、中断していたことに気がついた。これは1年以上前に右肩のリハビリをやっていたとき、この25分を見ながら肩を回す運動をしていたのだ。肩が治ったので、番組をみるのも辞めてしまったのだった。