今日の一句 何の種蒔き何の収穫もう知らん 浮浪雀
まずは唾液PCR検査。離島に行くので、村からの要請。陰性であることをいわないとお店で食べられない。しかし明日からマスクは自分で決めろ、5月にはインフルと同じになるというこの時期にそこまでやるのか、とは思うが浮世の付き合いで唾液を出す青い三角形の漏斗を加えて30分TVを見ていたが全然たまらない。無理やり出して漏斗でこすって唾液をためた。
日曜日は短歌俳句。短歌はお笑い芸人が出ていた。食べ物と嫌いという兼題。
お茶うけにイナゴの佃煮嫁ぎきて好き嫌いなどないとは言った かな。
俳句は元フジテレビの笠井信輔が出ていた。ガンは寛解したという。軽井沢野遊び愛しい三兄弟 → 野遊びの三兄弟を愛しめり と直されていたが、どちらも大した句ではない。
巡業公演のまとめをやったが終わらない。今日は神田で研修会。この前気になっていたラーメン屋に行く。日曜日なのに混んでいた。鶏だし背脂と矛盾したことを書いてある。あっさりスープなのか、こってりガッツリなのか。欲張って両方入れてある。もちろん、麺のかたさ、背脂の量、辛味の程度、そして無料ライスオプション、ちゃんと選択できる850円。麺は細麺でたっぷりあった。★4つ。体重が減ったらライス(並)つけてガッツリいきたい。
研修会はいのちの授業、というもの。60人は入る研修室に18人ほど。後部に三脚付きカメラ2台でこれはzoom用である。主催は日本教育新聞とJOT(日本臓器移植ネットワーク)。神田駅から即近の一等地の会議ビルを借りて、無料しかも豊富な資料つき。司会はJOTのお姉さん。これはどこから金が出ているのか。帰ってきて調べたら、補助金が19億から出ていた。ということは行政の施策の下請である。
基調報告は文科省教科道徳の教科調査官(国立教育政策研究所)で指導要録上の位置付けを解説した。JOTの美人職員は14000人が移植を待っているが2%しか移植を受けられない現状を報告。ドナーが少ないからである。筑波大学附属小学校の校長先生の授業実践、学芸大学附属国際中等教育学校の保健体育の先生の授業実践(このジャンルでは二十年も実践されている第一人者)と講演があって、最後にシンポジウムという妥当なプログラム。午後1時から4時過ぎまで、2回の休憩を挟んで3時間以上の研修である。
臓器移植には、4つの権利という言い方がある。あげたい・あげたくない・もらいたい・もらいたくないの自己決定権が尊重される、という。私はこれが面白くない。そういう権利を法律で決めて上から押し付けてくるなよ。自分の生き死にを自己決定権で決めていいのか。自分の生き死にの問題は避けて通りたい。気がついたら死んでいた、というのが楽でいいのではないか。そもそも自分の臓器は自分のものか?私は信者じゃないけれど、神様のもの、という考えもあるでないか。臓器移植で救われる人がいるのは悪いことじゃないと他所ごとなら思うが、身近な問題となるとそうはいかない。ここにナーバスな問題がある。自分が脳死になって孫のYちゃんに移植してたすかるならしてもいい、と思うことはある。でも相手がどう思うかはわからない。そんなふうに抜き差しならない関係はありがたくない、と私は思う方なので、相手もそう思うかもしれない、などと思ったりする。そもそも自分の死に方を自分で決めるというのは、自殺を肯定する見方なのでここにやはりモヤモヤしたところがある。人間の寿命は運命なので、自分(ドナーという言い方)の脳死も移植先の助かる相手(レシピエント )の生き死にも、決めることはできない。人間の命は人間が決めるのは荷が重いんじゃないか、という考えになる。これができるように医術が進歩したのでそういう悩みが出てくる。なんてことを考えながら聞いていた。
金欲しさにそういう企画の担当になって、具体的な生徒さん相手に巡業公演をしなくてはならない。どうなりますかね。
三鷹駅でQB床屋。帰宅後轟沈。