夏休み

残暑

今日の一句 夏休み家にこもって日々豊か 浮浪雀

 お盆の日程なので、悩みのるつぼが掲載されているbeは配達されない。それより、朝から下痢。せっかく晴れたので朝の散歩にいこうと思ったが、それどころではない。記録に寄れば、7月30日も同様の状態だった。出るモノがでれば、あとは普段通りだった。それで散歩にいかずに横になっていたら治ったようだ。

 毎日外出しないで、家でごろごろしていた。このお盆の連休にペットホテル業務がないのも久しぶりだ。こんなにすることがない夏休みも珍しい。机周りの片付けをするのが恒例なんだが、それもやる気がしない。ネットを見て、別邸のペットホテル仕様を片付けた。今回は風呂場での水洗いがないので楽だった。2階も窓を開けて風を入れた。spotifyの出力をHDMIに入れて、真空管アンプと自作スピーカーを通して聞くと、低音がちょうどよく出ていい感じ。このアプリのAIは選曲した曲から類似のプログラムを作ってくれる。それがyoutubeより性能がよく、ちょうどいい感じの曲を集めている。安楽椅子に座ってしばらく聞いた。

 この休みに入るまで、毎日行く場所は違っても着替えて仕度して満員電車に乗って通勤していたなんて、よくあんなことをやっていたものだ。そうして、しなければいけないことに追われて追い立てられるように暮らしていた。若いときはこういう休みが退屈で1日として外出しない日はなかった。そして仕事に出ると自分が戻ってきたような気分になった。しかし人生の季節が変わって、もうああいう毎日外出する日に耐えられるかわからない、そんな気分になる。今年の夏は2回も体調を崩している。まだ具体的に辞めてくれと言われていないが、そろそろ年貢の納め時か。この歳になると、哀れみを感じするのか人はなかなか辞めてくれと言ってくれないから、自分から身を引くのがいいだろう。そうですかと言って引き留めてもくれないだろう。

 自分から仕事を辞めると言ったのは、18歳の時の実数助手と56歳の時の都の教員を辞めたときだった。実習助手の時は、3月の終わりに言ったものだから、校長から後任者のことがあるから少し待てないか」と言われた。私が意思は変わらないことを告げると私の前で事務に電話して手続きを取ってくれた。56歳の時は退職願を出して失礼します、と校長室を後にしたら、教頭から電話がかかってきて再度呼ばれた。管理職2人を前にして事情を聞かれた。晴天の霹靂です、と教頭はいった。こういう言い方を実生活で人が言うのを初めて聞いた。このときは社会人だったから辞める5ヶ月前ほど間に言った。退職の申し出としてはまあまともである。

 一月ほどして、教育庁に出張していた校長から直接電話があった。これから退職の書類をだすがいいですか、との確認だった。私のような退職の場合、本人が迷っていることがあるから再確認の連絡をくれたのだ。これは実質的には慰留である。このときは科長と校務調整委員といくつか仕事を抱えていた。抜けられたら困るのである。もっとも異動の年限をこえて在職していたので、制度的にはいつぬけてもおかしくない時だった。その異動の確認はまだだったのでいずれはその時期がやってくるはずだった。教頭の言う、晴天の霹靂は退職に関してである。いずれの時も誰にも相談しなかった。56歳の時は妻には事前に言った。妻はお金が入ればいい、ということだった。

 今は年度更新で在職の意思を確認される立場なので年度替わりの3月に辞めるのなら異例のことではない。毎年仕事をさせて下さい、といわなければ職がなくなる立場である。いままでにないほどに体調を崩した回数が多い夏は初めてだ。そしてただ休んでいる事になじんでいるのも初めてな気がする。仕事が順調にいかなくて、迷惑をかけているようなら今の職場は身を引いてもいい頃だろう。収入の道はいずれ確保しなくてはいけない。それは結構ハードルが高いので、声を掛けてくれているうちになんとか探さなければならない。

 そんなことを考えながら別邸ペットホテルをかたずけた。それから休み明けにやらなくてはならない巡業公演のネタを考えた。なかなか完成しない。そのうちmac miniが起動しなくなった。電源を入れても画面がうつらない。電源コードを調べたり、出力のUSB-Cの接続を調べたり、あれこれやっても回復しない。とりあえず全接続コードを外して再接続してみることにした。ついでにその周辺の片付けに入る。これでやっと年中行事の机回りの片付けに入れる。

 夕方一週間ぶりに吉祥寺に買い物に行った。休みも終わりだからだろうか、人出が大変多かった。汗だくになって帰宅。