サルビア

丸の内線

 今日の一句 サルビアの蜜を舐め舐め養老院 浮浪雀

 今日は池袋経由で茗荷谷まで行った。新宿乗り換えは山手線にする。埼京線は歩く距離が長い。山手線は思いの外空いていた。この時間で座れたのである。池袋の乗り換えは地下通路でこれは昭和の時から変わっていない。渋谷や新宿のように異世界化していないので、昭和原人の私には好都合である。職場にも中央線御茶ノ水経由より早く着いた気がする。

 試験範囲が短くなります、と専任先生に言われる。私が昨日授業準備したのは、無駄になった。それは試験範囲外となった。それで授業案を練り直しているうちに、1時間目に行かなくてはならないのに(そのために池袋経由で早くきたのに)私は今日の時間割が月曜日の2時間目始まりだと思い込み、まだ余裕があるな、とあれこれ教科書相手に調べ物をしていた。そしたら専任先生が準備室のドアを開け、こちらにいらした、と女子生徒二人に言っている。あっ、授業時間が始まっていたようだ。この事態になってももなんだか異世界気分である。

 結局11分遅れて、授業を始めたが、生徒諸君は皆一様に自分の机に向かって自習していた。私が来ようと来まいと関係ないのだ。もう試験間前になっている。わたしの教員キャリアでこういう学校は初めてなのだった。ほんとにこのレベル学校の先生は楽勝じゃないか。わたしは直前に思いついた授業案をやってみた。youtubeをいくつかみて予備校教師のスタイルをまめてみた。板書は表形式でほぼ全面を使う。教科書や教材ノートにある事柄を別の形で提示する。というものである。こういう授業はわたしの字の下手さも相まって散漫になりがちなので、確認事項は教材ノートの内容を教師向けのパワポで埋め合わせる。昨年はこれを使ってみたが、退屈なこと極まりない。答え合わせなら問題集にあるQRコードを読み込めば、そのママ出てくる。

 やっていくうちに説明の順番を思いついて、一つの形ができる。それを残り2クラスでもやった。クラスごとに進度が違うので、重なったりぬけができたりするが、答えが自分で見られるので、それを気にしている生徒はほとんどいない。ジッちゃん先生がまた抜けたのだろう、と無視してくれる。授業が終わった後で質問が来た。一つは設問の条件を読み落としていたもの、もう一つは教科書で強調していないところが問題となったものである。いずれも設問を指摘したり、強調部分を言い掛けたところであっ、と言って納得して引き下がった。楽勝この上ない。

 3コマやって出欠をサーバーに入力して1時間ぴったり余分に勤務して撤収。余分は集めて夏休みの振り休にする。交通費が支給されていない問題は担当者が間違えたためだったというお詫びの通知が私のレターケースに入っていた。発信者は私がこの前直接問い合わせた人である。スーパーのレジにしても、お任せで間違いはない、という時代ではなくなった。多分コンユータが入ってきたことと関連があるような気がする。作業量が多い割に、単純作業が多いので、つい忘れるのだ。コピペで昨年同様にして訂正するのを忘れるのと同じである。

 帰りに郵便局によってNPO関連の切手を購入、まだ間に合うので13時に閉める和食定食屋に行く。満員だったが、待っていたら入れた。まぐろ中落ち丼は売り切れだそうだ。鯖焼き魚定食にする。がっつり食べて帰りも池袋経由で帰る。

 帰宅後、老害の人は見たか、と知人からメールが入っていたから見ることにする。NHKのドラマである。amazon primeからon demandにはいるとすぐに見られた。伊東四朗が、口では老人は引退する、若い人に任せなくてはならないといいながら、やっていることは真逆で迷惑老人そのままの言動である。これはいわゆるステレオタイプの描写だ。原作は内舘牧子。5話シリーズでいずれ仕掛けがあって老境のペーソスになだれこむと思われる。私も身につまされることにならないといけないと思っている。が、私は老人のモビルスーツを着ているアムロ・レイであり、碇シンジなのだった。つまり中身は別だと言いたいのである。今日もバスの中で妙齢なご婦人に座席をゆずられて断ったが面倒でならない。

 もっともこのドラマも途中で眠りに落ちて気がつくと先に進んだりしているからこれが後期高齢者の視聴である。