てふてふ

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今日の一句   てふてふが連れ立って兄島瀬戸を渡る   浮浪雀

 朝5時に起きて早速外出。青灯台の方へ行くと海につき出た展望台がある。波打ち側に拳大の塊がいくつか。見ていると素早く動いている。ささっと。動く方を見るとその先にも二つばかり小柄な塊が走っている。蟹だった。改めてカニは横に走ることを思い知らされた。

 1時間ほど外歩きをして、朝食は同じく納豆ヨーグルト。それから仕事関連のメール。経歴書も書き込んで、ここでもwordが大変使いにくい。役所は相変わらず「doc」のバージョン。世界遺産の観光地へ来てもやることは同じだった。 

 今日の三択。チャイムの音を始めて学校に導入したのはだれ? 国語の先生・大工・ぼけ。あれはビッグベン・ロンドンの国会議事堂ですね。という説明でした。

 午前中は観光の一団を率いて、港付近の名所巡り。まずはビジターセンター。小笠原の歴史から自然関係皆わかるという優れもの。ぐるりと巡って30分ほど。それから公園を巡って海岸へ出て、小笠原教会。返還時にメリケンのネービーさんが置き土産に建てた。市庁、小中学校の脇をとって清瀬方面向かう坂道を登る。都立大学の研究施設はコンクリート作りになっていた。48年前に来たときはプレハブ平屋だった。前の道と空は変わらないね。

 宮の浜にはいかず、パン屋によって昼食を購入。教え子の息子の店だというが、相手は知らないはずだ。顔は親にそっくりだと妻はいった。それから峠というほどの高みはないが坂の上を超えて水産センター。小さな水族館ができていいた。海岸沿いを出発点の繁華街に戻る。

 昨日は生協で品出しをしているジョエンと、母親を内地に連れ帰る幸子さんと47年前に生徒だった人たちが登場。今は生協の経営をやっているペー御大まで出てきて、爆弾の作り方を教えろ、と冗談を言っていた。それは私が爆発物取り扱いの資格をここで取得して、ダイナマイトも扱えるよ、と昔言ったので教えてくれ、となったものである。今日はここにエジソンがきた。41年間NTTに18の時から勤めたが、子供も大きくなったのでもう仕事をする必要はない、とやめて島に帰ってきて、毎日酒盛りをしているから顔を出せと飲み会のお誘いである。私は彼の上の代まで担当したが、彼を直接教えたことはない。

 一旦帰宅して朝食はパンをたべ、パソコンに向かって業務の続き。1時過ぎにともよさんが迎えにきて、今回の目的である墓参りにいった。お墓は二見港を望む高台にあり、見晴らしがとても良い。強い風の中なんとか線香に火をつけておいのりした。

 それから車で観光コースを一巡り。扇裏ー小湊と巡り、朝日山の脇道に入り、初寝浦を望む崖の上に出た。獣道を車で突き進むと戻れなくなりそうだった。兄島を望む崖から元高校横を通って清瀬に出る。2年間住んだ職員住宅21号はそのまま古びていたが、ドアが新品なのでまだ住んでいるようだった。隣の20号も健在で、他は皆コンクリートとの宿舎に建て替えされていた。

 生協で夕食の冷凍鶏だし白湯スープのラーメンを購入。またパソコン業務に入る。食事をしてMLB見ながら仮眠。講師関係と応募関係とキッズ職員シフト関係の業務は一応片付けた。