今日の一句 冬薔薇の泉も枯れて木曜日 浮浪雀
今日の三択。ケンドーコバヤシがやってみたい記者会見は?結婚・謝罪・引退 これは謝罪でしょ。黒物家電とは何?コーヒーメーカー・TV・ぼけ これはTV。お天気検定は思いせない。朝の夢に2010の1月2月だ、と言われる。さっそく不具合のあるこのサイトで検索して読む。なかなか面白い記事があった。
2010.1.16
いただいた寒中見舞いにこうあった。
『ひたすら「奴隷労働」に励んでいらっしゃることと存じます。
でも、元気で仕事ができることは喜ばしいことです。
ことに若い人達を相手にできるのですから。
誇りばかり高い高齢者とつき合うのは結構疲れます。』
差し出し人はかっての職場の先輩である。
病を得てやむなく退職されたが
現在はお元気で地元で講習会のようなことをされていると聞いている。
「奴隷労働」というところを
「奴隷道楽」と言い換えたいところだが
なんだかアヤシい趣味の匂いがするのでやめておく。
ここは上品に奉仕活動と言っておこう。
最後の一行などは、この方の肉声が聞こえてくるようである。
そう言っている動作まで思い浮かぶ。
私も心は「少年ジェット」とうそぶいているが
まごうことない高齢者の入り口であるから
人から認められよう、とかましてや、誉められようとか
ゆめゆめ思う事なく、せめて人様のお邪魔にならぬよう
路地の片隅を見えないゴキブリのごとくさささっと
走り抜けてゆく所存。
さて
明日もご奉仕させていただきます。
12年前だと62歳。65歳まで専任で働いていたから、朝5時半に起きて6時半に家を出て、三鷹駅6時51分発の電車で通勤した。平均3時間ほど残業していたので、帰りは8時ほどになった。それが毎日続いた。
2010.2.11
「風の谷のナウシカ」は1984年公開作品。娘はまだ3歳になったばかりだった。妻はバイトもやめて育児に専念していた。それで外出も思うにまかせず、映画も見に行けなかった。私は定時制高校の教員をしていて、昼間は東大生だった。家には寝に帰るだけで、たまの日曜日はクラブ活動の引率などで家族で何かする事はほとんどなかった。アニメ好きの妻は当然アニメージュで連載されていたナウシカのことは知っていて、その劇場映画を見たがっていた。それで娘を連れて3人で渋谷の東急に見に行った。もちろん娘は始めて映画館で映画を見るのである。場内が暗くなって音がなりだすと娘はぐずり始めた。音に敏感だった娘は大きな音が苦手だった。ナウシカが「腐海遊び」をして王蟲のぬけがらを見つけるシーンで、娘はついに泣き出した。映画が始まって10分もたっていなかった。私は娘を抱えて外に出ると、ロビーを抜けそのまま劇場の外へ出た。映画が終わるまでそこいらを歩き回り、土地勘のある都立大学駅まで行き、商店街を肩車をしてさまよったりした。
それから、1/4世紀過ぎた。映画を見たプラネタリウムのあった東急のビルは壊された。都立大学は既になく、多摩南大沢の方に移転して、今では首都大学東京となってしまった。三鷹に出来たジブリ美術館の職員となった妻はやめるとき、ナウシカのまんが版を全巻記念にもらってきた。私は還暦を過ぎても多忙なままで風邪でも引かなければDVDを見る暇もない暮らしぶりである。ナウシカの始めしか見られなかった娘はアニメのDVDを作る側に回っている。
「おお、大気から怒りが消えた・・・」
♪ランララ、ランランラン・・・
「奇跡じゃ、奇跡じゃ。なんといういたわりと友愛じゃ」
「王蟲がこころを開いておる。おお、子どもたちよ、ワシの盲しいた目の代わりに見ておくれ。」
「姫ねえさま、真っ青な異国の服を着ているの。まるで金色の草原を歩いているみたい。」
「おお・・・
そのもの青き衣をまといて、金色の野に降り立つべし」
「おお、」
「ばばさま!」
「古き言い伝えはまことであった。」
「あっ見て」
「風だ!風が戻って来た!」
なかなか力作である。最後はDVDを見ながらセリフを起こした。これがぱーこシティの実力。読み返すと結構面白かった。 そんなことをして、キッズ業務。新年度対応。印刷物作って郵送準備。算数ゼミ、みなパソコンやっている。4年生で塾の宿題をやっている児童がいるが、結構難しい問題をやっている。みてもすぐにはわからない。しばらくするとわかってくる。これはこれは大変だわ。 怖い話は、夏目友人帳からネタを持ってた。ムシクイ。ところがすぐ終わってしまったので、黒い入道の話をでっち上げた。
NPOのzoom会議。行政に向けての申請苦労話を少々。1時間半やった。