ぱーこシティ(令和版)

18年続いて来たぱーこシティは、ついに元の場所に還ることをやめました。

独楽

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今日の一句   勝独楽はひとり遊びのネット上 浮浪雀

 今日も正月番組なので、ルーティンはできない。お犬様お世話。今日は箱根駅伝。小物入れを整理する。用もないのにとってあった名刺を半分、カード類を半分、ろくに見ないで分けて残りは捨てる。昨日からの勢いがついている。次はコンピュータ関係の小物類だ。接続コードや充電コード、有線イアホン、マウス(4個あった)、などなど。これらはすべて壊れていないので、使えるものだ。韓国語を勉強しようと思って購入した単語カード、封書用の小綺麗な封筒。絵葉書。カード入れ。机周りは小物の宝庫。これもいい加減に半分ざっくり行く。今年の正月はこの使えるけど使わないで取ってあったものを処分しはじめの記念すべき年となった。

 お犬様お散歩。風邪もなく大変良い天気である。やはり正月はこうでなくっちゃ。

 年賀状。友人知人2・元生徒1。宛名が違います、と戻ってきたもの一枚。書き間違いかと思って昨年度のものを取り出してみたが間違いない。この住所はgoogle mapで調べてある。こんなところに住んでいるのか、と感慨深かったところである。沖縄の那覇。昨年の年賀状には電話番号が書いてある。電話して確認してみようか、とも思ったがもうずっと年賀状だけの関係である。もっとも機会があれば死ぬ前に一度顔をみておいても悪くない、と思ったこともある。メールアドレスやネット上のアドレスは書いてない。病気にでもなって転居したか。転居願いが来るような間柄でもない。もっとも来ても不思議はない、そんな関係である。年賀状のほとんどがそんな間柄になってしまっている。私も転居したら知らせないかもしれない。それどころじゃない事態が起こってもそれほどおかしくない。もやもやしたままほってある。かっては代々木ゼミナールから東進ハイスクールに合格王なる名称で赤マントを羽織っていた名(?)物講師であった。

 午後は少し昼寝をして深大寺に歩いていく。1時間ほどである。大変な人出だった。おみくじとそばまんじゅうだけで帰りはバスに乗った。お犬様ごはん。お膝抱っこぺろぺろちゅっちゅ。仮眠してさいごにおやすみガムを与えにお膝抱っこ。炭水化物特別メニューを食べまくって太った男子のダイエットしてイケメンになったというお正月特番をやっていた。そういえば初めて有吉とマツコの総集編という番組を少し見た。その二人が何をしていたか、まったく思い出せない。いろいろコメントをつける番組だった。

 ブラックジャック4巻読了。

ところで深大寺のおみくじ。吉なんだが内容が暗い。

将軍有異聲 しやうぐん いせいあり
進兵萬里程 すすむへいを ばんりのみち
争知臨敵處 いかでしらん てきしょにのぞんで
道勝却虚名 みちすぐれて きょめいをしりぞく

いせいありとは此人名将の聞こえありて四方にかくれてなきをいふ也
つはものを遠き國につかはしてきをうたしむる也これは萬の望事にあて見るべし
てきにむかいてかけ引く大将の下知しだい也かちまけいかでかしらんいまだわからぬ也争知の字眼をつくべし
きょめいをしりぞくときはほまれをああらはす也またかへつて名をむなしくすとよむ時は道すぐれて理を持ながら非におつるなり大しやう心得大事也

●此のみくじにあふ人は大事なり心得一つにて善事も惡となり惡き事も吉事となるなり物事ゆだんすべからず八幡せんじゆくわんのんを信ずべし
○病人長引事あるべしよきいしやたのみ本ぶくず
○悦事よし
○うせもの出べし
○そせう事叶うべし叶って後つつしみあしければうれいとなる
○あらそひ事かつべしかちて後大事也あしくすれば打かへさるる事あるべし總じて不意を打たるることをようじんすべし
○待人來るともおそし往て利あり
○うりかひ此方よりしかくるによし
○屋作ふしんむこよめ取たび立ちよし
○生死おく病ものは死す

ここのおみくじは凶が四割とも言われているので、吉もこの程度である。くわばらくわばら。

 

夢はじめ

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今日の一句  夢はじめ昨日の夢は今日の夢  浮浪雀 

TVをつけたらいつも日曜日にやっているキリ子が出ていた。有効帰り夏目漱石のような髭を生やしているトルコ人が出ていた。先生のようだ。そばを啜る音を練習している。毎朝納豆を食べている、というから努力がすばらしい。昨日の予定通り、いつもと同じ納豆ヨーグルトの朝食を食べ、お犬様のお世話に行く。TVはスポーツ関係が多い。年賀状作成の依頼があり、それを作って、お犬様の散歩。帰ってきたら、サンドイッチマンと芦田愛菜がお金に詳しい小学生博士を相手にお金にまつわるトリビアをやっていた。間違えた印刷した紙はいくらになるか、とかギザ十は昭和33年ものがレアだとか。あとは駅伝だね。

 お昼ご飯にお餅を食べて、Y氏と駅前のサンマルクで物々交換とよもやま話。13時30分から1時間ほどやって、境に行く。イトーヨーカドーで暖かい長袖のシャツを購入。その後で杵神社。三鷹八幡のお札も売っていた。神社チェーンの本店のようだ。ここのおみくじは大吉。

だけど中身にいいことは書いていない。

 春風の吹けば おのずと 山かげの 梅も桜も 花はさく なり

心をかたく持って 一時の不運にあわてさわぎ思いまようてはいけません 本業をよくまもって静かにときの来るのをまちなさい 開運うたがいありません

吉 大  勢 運

願事 気ながくすればととのう安心せよ
待人 来るのがおそい
失物 物にかくれて出ず
旅行 十分でない 控えよ
商売 物価下がる買うはわるし
学問 安心して勉学せよ
相場 売れ 大利あり
争事 人に任せるが利
恋愛 あわてず心をつかめ
転居 さしつかえなし
出産 安し 信心第一
病気 気を強くもてなおる
縁談 先方へ思い通ぜず 調いにくい

 帰宅後、机の左側を整理にかかる。いままで捨てなかった本を処分する。未練があるので、写真だけは取っておく。臨床心理関係と数学関係で学部生の読むような本で、それほど専門性が高い物ではない。しかしまあ、一般書ではない。岩波の齋藤の英和熟語辞典も捨てることにした。訳例が格調高くZ会の紹介で知った。1967.9.26 北進堂にて と裏表紙に書いてある。55年前の辞書である。北進堂は飛鳥山の前のどもりの店主がた本屋。1967年私は18歳、実習助手をしながら浪人していた時期である。大事なものを一つ捨てると、あとはあれを捨てたのだからこれもいいか、となって連鎖反応が気持ちの上で起きるのだ。

 Y氏が貸してくれたブラックジャック1〜4巻。ネームがともかく丁寧で、きちんと辻褄合わせるように描いてある。雰囲気だけで整合性のないまま突っ走る最近のものとは随分と違う。半分くらいは話の先が読めるが、予想通りになっても読後感は悪くない。多分筋だけの作品じゃないからだ。手塚先生はやはり偉大です。

賀状

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今日の一句  たかが賀状相手に出したりやめたり 浮浪雀

 新年1日目はやたらとお笑い関係の番組が多い。それも生である。スポーツ以外に生はあまりやらないので、そちらの方が面白い。ウエストランドが普通のおっさんになっていた。お犬様のお世話。今日はそれが終わってから朝食となる。しかしわざわざそうしなくてもいいか、と言うことになり、明日から朝は普通に食べて昼間にお雑煮を食べることにする。そういえば、年越し蕎麦も昼間食べたし。わざわざ夜遅くに食べることもない。

 年賀状計36。元生徒10、知人友人16、親戚5、営業5。今年も年賀状はこれで辞めることにする、と言う方が一人いた。LINE2名。

 お犬様散歩は井の頭弁財天詣を兼ねた。だいぶ行列ができていた。おみくじは第三十三番 吉。

枯木逢春艶 こぼくしゅんしゅうにおうて
芳菲再発林 ほいうひとしてふたたびはやしをおこす
雲間方見月 うんかんまさにつきをみる
前遇貴人欽 すすんできじんのよろこびにあう

ふゆがれの木も はるにおうて みどりをふくむなり
にほいもみちて ふたたび はやしにかんばしきなり
そのうえ くものはれまには 月のひかりもあらわるるなり
きじんの よろこび ひきたててにあうべきなり

このみくじにあたる人は、思わぬ方よりたすけを得て仕合わせよし、神仏を念じ先祖まつりてよし

▶︎病人は東南のいしゃによりてほんぷく▶︎えんだん、よろこびごとよろずよし> ▶︎失物はおそく出ずべし高き所をたづねてよし ▶︎あらそいごと勝つ ▶︎待ち人来る ▶︎商はうりかいともいよいよ繁昌す、目上の人に出入して徳あり ▶︎家うつり、ふしんなどよろずよし ▶︎職はあきないよろずよし、たたみ糸類、紙などに縁あることよろづよし ▶︎望ごとかなう ▶︎子に始め仕合せ悪しく、のち吉

昼食。一蘭のお土産ラーメン5食で2000円を引っ張り出し秘伝のたれを全部入れて食べる。そこらじゅう辛い。3時近くになって三鷹八幡に行く。外の道路のところまで列ができていた。お参りまで約1時間かかる。賽銭だけとられて、お札や破魔矢やおみくじの営業なし。武蔵境の杵神社で昨年同様やっているんだと思う。歩いて帰宅。

 れんあいくえすとの年賀状四枚をスキャナで移してyoutubeからドラクエの音楽を落としてつけた。ギャルゲーの音もつけようと思って試行版をいくつか見た。ラブプラスのものを使うことにする。夕食はおせち料理。

お犬様お世話。お笑いの番組みる。番組内でも言っていたが、この時間帯は新春芸能人隠し芸大会の日だった。

除夜の鐘

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今日の一句   とりたてて言うこともなし除夜の鐘 浮浪雀

 7時過ぎに起きたので、朝ごはんを食べてお犬様のところに行かなくては。日曜日だしルーティンワークもなし。しっこうんちごはん。お膝だっこにぺろぺりちゅっちゅ。TVはポツンと一軒家と言うのを見た。google mapで一軒家を探しスタッフがそこに住んでいる人をインタビューして、それをスタジオで所ジョージと林修がコメントを入れる。鶴瓶・順次よりタレント色少なく、ドキュメンタリー風演出が人間の有様を映し出す。年に一度この日しか見ない。昨年も見た気がする。

 一旦本宅に戻って、昨年のぱーこシティを見返すと算数の問題が出ていた。確か昨年といた気がするが、気になってやっていると本来正の数の距離がマイナスで出てくる。これはおかしい。なんどかやってみたがどうもおかしい。検索をかけると、問題が違っていた。1年越しに正しい答えを出すことができた。

 お犬様散歩。ギル男に行先を選ばせてひとまわり40分。それから大晦日に完成させる今年一年のまとめに取り掛かる。これは隙間時間を見つけてやってきたので、残すところは12月分だけだ。ただしリンク先のページは見にくくなっているので、コピペしてこのHatena blogに移しておく。これが済まないと次の課題に入れない。片付け1/2処理。使えるものを捨てる。

 go to travelを使うために、駅周辺まで行って蕎麦屋で年越し蕎麦を食べる。小エビの天ぷらの入った冷たいそば。ハサミを持ってくるのを忘れたが、難なく食べられた。OKで買い物。夜は1980円の刺身三昧だ。バスで帰宅。片付けの続き。処分できたのは1/3ぐらいだった。それでも長足の進歩である。使えるものを捨てると言うことは、世の中の価値に逆らっているので、その癖がついていままで縛られていた普通の価値観から解き放たれた気がする。もっともこちらが老人で世の中から無用に思われているので、その仕返しをしているつもりもある。

 年末恒例のhekomin氏83分。そのあとYs氏。これまた年末の恒例だね。昨年も同様だった。

 紅白をチラリと見た。橋本環奈と大泉洋がディズニーを歌っていた。その後で歌唱力のある若手が4人で丸くなりお互いを見ながら歌った。客は舞台上のTV画像を見るのか。面白い絵柄だ。最後にお犬様寝る前の歯磨きガムのお世話をして、これを書いて寝る。

毎年恒例の今年の映画のまとめというのをやっていたが、そのもとになるcinema scapeが今見られないので引用することができない。30本くらい映画館で見て、あとはインターナットサービスで見た。★5はなかったように思う。netflixの「ウヨンウ弁護士は天才肌」が一番面白かった。役者もいいし、テーマもいい。韓流は他にいくつか見たが、忘れている。アニメは呪術廻戦・チェンソーマンと主人公がどんどん性格悪くなっていく感じ。逆にうる星やつらは、あたるが狂言回しでおとなしい。SPY×FAMILYは途中だれてきたが、最近また盛り返してきている。ヨルさんと帷の女の戦いが面白かった。cinem scapeが復活したら、思い出してコメントつけてみたい。

2022のまとめは→こちら

年の暮

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今日の一句   すれ違う犬の散歩や年の暮れ  浮浪雀

 今日の三択。そばと表記していいのは、そばの含量が何%か。30%以上が答え。こういう関心のあるものは覚えている。お犬様朝のお勤め。今日は大掃除の日。まず机周りだが、この前思いついた方針を早速完徹。それでも捨てられないものは残る。半分程度処分すればいいので、気が楽。机の脇の書棚の遠いところから片付けていく。自然と使わないものはだんだん遠くに置くことになるので、合理的だ。時間内に終わらなくても、そのままにしてお犬様の散歩。

 窓の掃除にかかる。今回はさっと一拭き超繊維の布巾を使ったら二度拭きは入らず一度で済んだ。網戸用、窓用、TV画面用と3種類もある。網戸もバッチリやって、午前中は終わる。

 吉祥寺最後の買い物。ひさしぶりにブラッキー定食が頭に浮かんでいるが、総入れ歯で牛肉が噛めるのか。細かくする調理鋏を買えばいい。それは幼児食や介護用品売り場に売っている、妻がいう。そこでまずハサミを求めて伊勢丹地下。頃合いのものを買ってねぎしに行くと行列で諦める。それでは年末特別感から一蘭。ここも階段上まで並んでいるが、回転は速い。ラーメンが980円になっていた。ライス小200円。とても私が食べるものの値段ではないが、年末12月30日故並ぶことにする。なんだハサミは必要なかった。これは今後使うから無駄にはならない。

 一通り買い物をして、掃除の続き。玄関周りを済ませてお飾りをつけて、次は別邸玄関。お犬様が騒ぐのも気に留めず、窓、網戸と順調にこなして大掃除は一応終わる。一寝入りする間も無くお犬食の時間となる。

 お膝だっこにぺろぺろちゅっちゅ、しながらじゅん散歩なる高田純次の番組を見る。笑福亭鶴瓶が田舎の家族回りなら、高田純次は東京の若い人回りが多い。知っている場所ばかりなので、親近感が湧く。下北沢では私の高校同期の柄本明が出ていた。暮れでないとTVは見ないので、そこそこ面白い。

 

着ぶくれ

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今日の一句  着ぶくれがめっきり減ってヒトテック  浮浪雀

 今日の三択。思い出せないと思ったら見なかったんだ。お犬様、しっこうんちごはん。お膝抱っこにぺろぺろちゅっちゅ。しながらデンジくん見た。構図がハリウッド映画みたいな決戦シーンになっている。まきまさんが出てこないとつまらない。

 年度末恒例の今年の一年のまとめというのがある。月に一つ、この日記の記載を呼び出してコメントをつける、というやつだ。年末TVなどでよくやっている今年の一年を振り返って、という企画である。その自分版で一番関心があるのは自分なので、半が義務にしてもそれなりの効能はある。そのコメントに日記のリンクをはる。ところが今年のそのリンク先が、deprecated...の洪水になっている。これをなんとか直そうと悪戦苦闘しているが結果はでない。movable typeかword pressの形式ならそのままこのブログに流し込めるという。私のパソコンに落としたデータの形式がわからない。データベースのテーブルならテキストで見られるので、比べてみたい。それにはこのパソコンにmovable typeとword pressのサイトを作って、そのデータベースからデータをエクスポートして見比べればいい。

 それがなかなか進展しない。当面の課題を埋めるために、不満足なブログをコピペして、その日だけはこのブログに移しておく。そうしてリンク先を確保すればとりあえずの形はたもてる。そんなことをやってから、お犬様の散歩。天候も良く、帰宅した後しばらくお相手して、吉祥寺に買い物。

 犬の就寝前の歯磨きガムとかスポンジとかお犬様牛乳とかを探しにロヂャーズ。求めるものは見つからない。UP LINKでジョンレノン 音楽で世界を変えた男の真実 をみる。映画サイトでは★2.5なのでちょっと迷ったが、私は★3.5。なかなかちゃんと作ってあった。クオリーメンのメンバーでがでてきての思い出話や、美術専門学校の同級生(もちろんいまやおばあちゃんだが)のコメントとか。音楽も当時のものだしちゃんとジョンの肉声を使っているので、以前見たDAVID BOWIEのものよりよほどマシだった。ただ真っ当なドキュメンタリーなので地味な印象。しかし1960~1970のほぼ10年、正味8年メンバー20代の活動と考えると芸術は決して活動の時間の長さじゃないと思う。今回の内容は文章で読むともっと入ってくると思った。本の形でそこに写真が載っていれば十分だ。

 帰りにバスでホームセンターに行き、ロヂャーズになかったものを購入して帰宅。掃除は明日の予定なので、お犬様を構いながら、池上彰のTVを流し見した。

煤湯(すすゆ)

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今日の一句   ランキング煤湯に浸かって聞くラジオ  浮浪雀

 朝の夢。自分は学会に出ている。会場は縦に長く各階ごとにテーマが違う。自分が聞きたい分野は随分と高い階でやっている。エレベーターは工事現場のゴンドラタイプでワイヤーが括り付けてあるカゴでドアも天井もない。そのゴンドラで22階へ行くともう会は終わっていて会場は暗くなっている。今年もせわしなく動き回っただけでなんの成果も出なかった。随分と落胆して下へ降りていくと7階で止まった。後ろで声がする。やっと会えた。振り返ると3年前に別れた女が笑顔で自分の右手を女の両手で包むようにして握る。手を預けたまま自分はなんだか彼女全体を感じてずいぶんとこの感覚は久しぶりだ、まったく忘れていた、とおもったとこで目が覚めた。右手には女に握られた感触がまだ残っている。

 今日の三択。タンスの言葉の由来。荷物・段差・素早い踊り。これは仏教用語で荷物のこと。江戸中期から使われている。芸能三択は思い出せない。この朝のルーティンは記憶力保持のためにやっているが、効果の程は定かでない。ただ思い出せにことを思い出そうとする努力に自己効能感が維持される感じがする。

 やっと仕事から解放されたが、今日から8日間お犬様がやってくることになっている。そのため別邸をペットホテル仕様にしないといけない。まずは狭い庭をきれいにしておかないと庭を外トイレに使われたときにこまる。そのまま室内に入ってくるからだ。もっともその辺はペットホテル仕様なので適当。いなくなってから床はきれいにするので、まあ年に二度の大掃除のきっかけになる。

 柿の枯葉と庭の物置を大掃除する。物置にはまだ入っている塗料や肥料や使えると思っているものがそのまま置いてある。一つ一つ出して点検すると、ほとんどが固まっていて使えない。結局こういったものは使い切って、使うときに購入した方が無駄がない。思いきって処分する。

 午前中だけで終わらず、中断して午後もやることになった。昨夜のおでんの残りとうどんを食べて昼寝を少しして、暗くなるまで片付けの続きをやった。接着剤や塗料缶がたくさん出てきた。物置のドアはCRCで潤滑させる。外も水拭きすると見違えるようにきれいになった。正月は神様がやってくるというからたまにはこういうところも拭いておかないといけない。

 燃えないゴミなので捨て方を確認してから処分することになる。枯葉や枯れ枝は燃やしたいところだが、ものを燃やすのは禁止されているようで面白くない。狭い庭の四方は隣家の塀に囲まれて外からは見えないところだ。3年前にこの狭いに庭でバーベキューをやった。キャンプ用の鉄板コンロを購入したが結局そのとき1回使っただけだった。その時買った炭もまだ残っている。今度は七輪を買って小規模に焼き肉などやってみるか。

 片付けは、この前思い浮かんだ方式でやる。ともかく今あるものを半分捨てる。伊勢神宮は20年ごとに遷宮する。その方式で、本棚なら半分は空間を空けておいて毎年入れ替える。そうすればいざとなった時残り半分を処理すればいい。今回は使えると思って1年以上手をつけなかったものをごっそり処分するつもりである。今年の11月に晩年に付き合ってきた諸々が次々と終わりを迎えた。向こうからやってくるように使えなくなった。これは変化の年である。できるときにやっておかなければならないと自然に思えてきたのでここ10数年やろうと思っていたことに着手できると思う。

 自分が死ぬことはよくわからない。死んで仕舞えばなにもわからないから考えるだけ無駄だ、と思ってはみるが実感がない。自分が親しんだ有名人がどんどんなくなっていく。自分の友人・知人も死んでいく。その時あまり悲しくない。ああ逝ったかと思うだけである。しばらくたてば時間はいつものように流れる。今の家族は妻一人なので、妻が先に死んだら、これは日常生活でけっこう堪えると思う。毎日見ているTVの番組がなくなる程度ではすなまい。具体的な生活でいくつか不便が生じる。もっとも妻の実家は小笠原なので、母親が生きていた時は年に何度か2、3週間家を開けることがあった。そんな時でも私は同じように日常生活を送っていた。だから短時間なら大丈夫。むしろ解放感がある。しかしもう帰ってこない、となるとどうか。

 つまり知っている人が死んだときのショックは今の生活が戻ることなく変わっていく、というところにある。知っている人間がしんだだけでそういうショックを受けるなら、自分が死んだ時はどうか。まだ認知症といえるほどボケていないので、一番自分が知っている人間は自分である。四六時中意識して付き合ってきた人間がもういなくなって帰ってこない。そのとき受けるダメージはどうか。それが自分が死んだとき受けるダメージである。それを怖いと感じるのか不安と感じるのか。そうすると自分が死ぬ時はわからなくなっているから大丈夫とは言えない部分がある。生きている自分が一番親しんだ人間の自分が消えてしまうことの感情が残るからだ。とまあ、そんなことを考えた。